第一章:『生存するという戦い』 - コペル からだとの会話

第一章:『生存するという戦い』

東京の理工系大学に通う青年、コペル。

当然、コペルという名はあだ名だ。僕はまだコペルニクス的な大発見はしていない。
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天動説を覆す地動説を唱えたニコラウス・コペルニクス。
他愛もないことだが理科の授業で地動説は誰が唱えたかという質問で、「コペルニクス」といったつもりだが、
弱弱しい僕の発音は語尾がかすむことが多くて「コペル(むにゃむにゃ)」と口ごもって聞こえたらしい。
先生が「コペル?なんだって?」と聞き返すと、僕がまた「えぇっと。それはコペルにぃ(むにゃむにゃ)」というやり取り。教室では大爆笑。
「星」とい本名が災いしコペルというあだ名に落ち着いた。


息抜きをかねて大学近所のコンビニに昼食を一人だけの買出しに。

今日は、バレンタイン・デー。

やさしい恋人がほしい。だが、毎年のようにコンビニのレジ横にあるチョコレートを今年も眺めるだけ。

頭脳明晰だが他力本願。だが自分ではそんな他力であることなど自覚はない。普通程度の大学生だった。
曲がったことは嫌いな性格。だから自分の背中の側湾が大嫌い。腕組みをしながら毎日のように同じことをつぶやいていた。
「背中の側湾をなおしてくれるところはないか。医者にはセカンドオピニオンで数箇所いった。だが思うようにならないんだよな」


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ものごころついたときは、背中に大きなコルセットをしょわされていた。ドーマン法という這ってする運動をやらされたっけ。今はその運動の意味もわかるが、いまだに脊椎の側湾はずっとそのまま。親はこんな僕を心配してくれている。だがその心配が、時に僕のこころに足かせをはめてだめな子だと押しつぶそうとしてくる。そんな息苦しさを感じて、僕は東京の親戚を頼って下宿をさせてもらった。一人で暮らすのは、絶対に認められないといわれ仕送りなしはきつすぎるから、親戚の家の一間を借りたということだった。
友達は少なかった。寂しかったが、宿命と思っていたから平気だった。いびつに首を振りながら歩く癖がある。子供のころはそれをみた他の子がへんてこなやつだといえば負けるとわかっていてもケンカをした。かわいそうだといわれることがつらかった。

側湾を背負ったことへ憤り、運命の不幸をうらんだ。
街中を歩く同世代のこどもたちをみいるとき、つぶやいたものだ。「いいよなぁ。なんで僕だけ変なんだろう。。。」
自己嫌悪と自尊心の根は絶やされた。
つっぱって生きなければ、割れかけた薄いガラスでできたこころが、壊れることを知っていた。

そんなことを、また、ふと思い出すよう頭をよぎった。
コンビにでは、いつもの昼食メニューのやきそばぱんとメロンパン、そして牛乳を買った。
チョコを買ってこれ見よがしに自分のデスクにおいても、わびしくなるだけだろう。



2010-03-16 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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